平井巧のコラム

はじまった、フードロスの学校。

「流域共創研究所だんどり」といっしょに
フードロスの学校」をはじめた。

10月に第1回目の講義を行い、
法政大学網野先生を講師にお招きした。

この講義がとんでもなくおもしろかった。
おもしろかった、と客観的に書いたのは
これを企画するじぶんたちも、
話を聞き、受講するみなさんと話し合うからだ。

網野先生の専門は、建築やデザイン工学。
一見、フードロスと関係ない分野の
専門家からさまざまな話を聞いて、
ちょっと離れた位置から
フードロスを見つめ直してみよう。
というのがこの企画の趣旨だ。

第1回目としては申し分のない
すごく濃い内容の講義になった。

おもしろかった!と
ひとことでは片付けられないくらい、
考え方が頭のなかであちこちに飛んでは、
別の何かとくっついてまた思考を広げる。

なにより、研究者の話はおもしろい。
ぼくたち素人にわかるかな、
と身構えてしまうがちゃんと理解できる。

「ん?いまのどういう意味だろう?」
ということも出てくるが、
あとで調べたり聞いたりして理解すればいい。

講義は、すこし背伸びして聞くくらいの方が
あとでぐぐっと成長したような感じになる。
これがきもちいいんだなー。

こんな頭の使いかたは、
定期的にやっておいたほうが良さそうだ。
ふだんの何気ないインプットによる
頭のなか大渋滞を整理するために、
大事なことだろう。

フードロスの学校、というくらいだから
フードロスのことを考える場ではあるけど、
「どのくらいの食べ物が捨てられているのか」
を数値でみたり、環境への影響をデータで知る、
というようなことを暗記したり、
まっすぐに掘り下げていくようなことはしたくない。

そんなことしても、きっと、つまらないし。
ま、じぶんには関係ないや、ってなる。
じぶんがそうだった。

じぶんで聞いて、考えて、言葉にする。
食べ物と一緒だ。おいしそう!と思ったものを、
じぶんで選んで口にして、咀嚼して、内臓に入れる。
腑に落ちる、とはよく言ったものだ。

そう、じぶんなりのフードロス論を持つべきだ。